肩ごしの恋人
マガジンハウス
唯川恵
第126回直木賞受賞作
驚きに満ちた新しい恋愛小説が誕生した。
| 萌 |
気に入ってしまいそうなものを見つけた時、
必ずいちゃもんをつけたがる、
自分にはそんなところがある。
もうわかっている。彼はとてもいいセックスをする。 |
| るり子 |
私、いつかあなたは私を好きになるような気がするの。
だって、私を好きにならない男がこの世にいるなんて、
どうしても信じられないんだもの。 |
「嬉しくないの?」
「あんまり」
「なあんだ、そうなの」
「そうなのって、何よ」
「萌ったら柿崎さんのこと、好きじやなかったんだ」
「どうしてそうなるわけ?」
「だって、好きなら、嬉しいに決まってるじやない。好きな男が独身になるのよ。
不倫じゃなくなるのよ。私だったら、嬉しくてセックスしまくっちゃう」
「私はるり子とは違うから」
「当たり前よ、そんなこと5歳の時から知ってるわ」
萌は、ピカタを口の中に押し込んだ。るり子とどれだけ話をしても、
これ以上、理解しあえることはないと、ため息をついた。
午後、店番をしながら、萌はぼんやりと考えた。
私はやっぱり変だろうか。付き合ってる男が、妻と別れるというのは喜ぶべきことなのだろうか。
柿崎のことは、とても好もしく思っている。会っていて楽しいし、また会いたいとも思う。
それでも、妻が出て行ったと聞かされた時から、
気持ちの中に小さなこだわりのようなものが生まれていた。
どういうわけか、距離を置こうとしている自分がいるのだった。
むしろ、そんな思いを柿崎に知られたくなくて、前よりよく会うようになったという気がする。
柿崎が結婚していることは、もちろん最初から知っていた。知っていて付き合った。
けれども、少し言い方を変えると、知っているからこそ付き合った、
ということでもあるような気がする。
男が結婚しているという事実は、どこかで安心感を連れて来る。
不実が当たり前。何の期待もしなくていい。
恋愛はしてもその先には絶対に進まない。そんな決めごとが始めからあって、
いろんな意味で歯止めになってくれている。
この人とは結楯できない。というのは、どこかで「この人と結婚しなくてもいい」
ということでもあるのだ。
信之のことも、今となってみればそうだったような気がする。
信之は独身だったが、付き合っているうちに、
何となく結婚という雰囲気を感じるようになっていた。
それをさり気なくかわしながら、今まで通りに付き合ってゆけないかと考えていた頃、
るり子が現われた。
るり子は信之を気に入り、横からさっさとさらって行った。
他人からすると、恋人を盗られた可哀相な萌、と映るかもしれない。
でも、萌にそんな気持ちはまったくと言っていいはどなかった。むしろ、どこかでホッとしていた。
自分はどこかで、結婚に対して嫌悪を抱いているのかもしれない。
そう思ったとたん、何だか急に不安になった。
そんなわけはない。
そんなことを考えたら、どうして生きていけばいいのかわからなくなってしまう。
萌は慌てて首を振った。
(「本文」より)
1400円(税別)
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