かきおき草子
新潮社
瀬戸内寂聴
今日は締め切り、明日は法話。
旅から旅へ飛び回り、ついには断食祈願まで。
パワフルな寂聴さんから元気の出るメッセージ。
出家したのは五十一歳だったが、これは一応自殺と同じつもりだった。
出家とは生きながら死ぬことだと、私は勝手に考えていた。
ところが、出家したせいか、私はとみに丈夫になり、
以後廷々と生きのび七十八歳になってしまった。
数え年では来年は傘寿ということになる。
自分が八十歳の老婆になるなど、全くもって信じられない。
(本文「茫々の歳月」より)
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや」
と室生犀星も歌っている。
長い間、私はこの詩を愛誦し、どんなに苦しくてもふるさとに泣いて
帰ったりするものかと思っていた。徳島に生れ、徳島に育ち、
十人歳の春、東京の女子大に入るまで、私は徳島を離れたことはなかった。
終戦で北京から引き揚げて、見るも無惨に焼き尽くされたふるさとを
目にした時の、絶望的な喪失感は、半世紀以上経た今も、
胸になまなましく残っている。
引き揚げて、ほんのしばらく徳島にいた間に、私は愚かな恋をして、
やがて家も夫も子供も捨てた。
せまい町では、私は噂の女になり、夫の顔に泥を塗った女、
幼い子を捨てた人非人となって、非難の矢表に立たされた。
当然のことなので、私はふるさとの人々を恨みがましく
思ったりしたことはない。しかし家を捨てた瞬間から、私はふるさとも、
自分の心から捨てていた。
ふるさとからも石もて追われたという感じを、
わざと自分の心に強調して生きてきた。
(本文「ふるさとの風」より)
1300円(税別)
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