 |
|
映画監督という仕事
筑摩書房
リュミエール叢書
フェデリコ・フェリーニ
リータ・チリオ
竹山博英訳
ISBN 448087304X
フェリーニ最後のインタヴュー!!
俳優論/プロデューサー論/監督論!!
オーディションは、私には、ある俳優が演技ができるかどうか、
見るためにはさほど役立たない。
なぜなら演技ができるかどうかは、ほとんど問題にならないからだ。
時にはむいろわずらわしいものになる。
というのは、演技ができるということは、ある自覚、うぬぼれ、
思い込み、自己制御法を保持していること、
私には役に立たないものを持っていることを意味するからだ。
(フェリーニ)
一九七〇年代の半ば頃、私は「エスプレッソ」で働くためにローマに通いはじめた。
だが当時の私にとって、交通事故と、様々なパーティーと、
眺めの良いバルコニーがある首都を後にして、最終列車のとび乗り、
ジェノヴァ湾の潮の匂いを胸一杯に吸い込み、ポルトフィーノの山の
雄大な稜線を遠くから眺めるのは喜ばしいことだった。
遠隔の地で働く時、帰還病にかかるのは、ジェノヴァ人に特有の症状である。
この病を治すため、一九七六年の夏に編集部の二人の同僚が、
今まで出席を拒んできたパーティの名か出、最も興味深く独創的なパーティに誘っくれた。
それはチネチッタで行われた『カサノヴァ』の撮影の最終日で、
同時にさよならパーティにもなっていた。
チネチッタの入り口では、フォート・ノックスも顔負けの、やや大げさなチェックを受けた。
そして松の根で舗装が浮き上がった道を、ゆっくりとセットに向かうと、
サバウディア市街で見られるような、ファシズム期の、
装飾の少ない建物が現れ、ダニーロ・ドナーティが作り出した、
十八世紀の大袈裟な衣裳を身につけたエキストラたちが姿をあらわした。
彼等は乾杯用のシャンパンを紙コップに入れて持っていたので、荘重さが損なわれていた。
そしてラグーンに見立てた大きな池には、ヴェネツィアを象徴する、
王冠をかぶった大きな頭が沈んでいた。
フェリーニはそうした中で、静におしゃべりをしていた。
まるで彼の映画のセットをなしていた、
その巨大なサーカスのすべてから、身を引き離しているかのようだった。
フェリーニは、最も困難な仕事を果たしたという安堵感と、
映画への郷愁との間を、つまりまた映画を撮りたいという欲望との間を
揺れ動いているように見えた。
(本書序文より)
目次
序文
T 俳優について
俳優と呼ばれるものに初めて接して、びっくり仰天したのは、エルメテ・
ザッコーニを見た時だった。私の家には、両親以外に、叔父が一人いた
のだが、この叔父が演劇好きで、劇場に行くとはた迷惑な感動ぶりを
見せた。落下傘のように大きなハンカチを引っ張り出しては、大きな
音で鼻をかんだのだ。俳優に関する最も古い思い出は、この感動
しやすい叔父と結びついている。
U プロデューサーについて
大多数の観客と同じように、私も、プロデューサーはおろか、監督も
脚本家もいないと思っていた。当時の多くの人々が考えていたように、
みな俳優がしている、俳優が映画を作っていると思っていた。
V 監督について
私は全員から学んだね。まつたく何も知らなかったのだから。
そもそも映画監督になるなどとは思っていなかった。子供の頃は、
ジャーナリストになる、特派員になるという、漠然とした希望を
持っていた。だがサーカスの団長にもなりたかったし、画家でも
良かった。要するに多少なりとも芸術に関係していれば良かったのだ。
訳注
訳者あとがき
写真
原注 巻末
フィルモグラフィー
関連書紹介
☆リュミエール叢書
1小津安二郎物語 厚田雄春/蓮實重彦
2映画物語 大森一樹
3日本映画の現場へ 山根貞男
4ベルトルッチ、クライマックス竹山博英訳
5キャメラを持った男 ネストール・アルメンドロス武田潔訳
7成瀬巳喜男の設計 中古智/蓮實重彦
8リリアン・ギッシュ自伝 鈴木圭介訳他...
2524円(税別)
|