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ジョン・レノン語録
シンコー・ミュージック
マイルズ編
小林宏明訳
ISBN4401617460
いつまでも忘れない真実の言葉!
1945ジョンはダヴディル小学校に通っていた
●ダヴディル小学校時代は、けんかばかりしていました。
幼い頃からダーティーなジョークをたくさん仕込んでいましたね。
そのようなジョークを教えてくれる女の子がいたのです。私が
ボスだった不良グループは、女の子のズロースをさげることばかり
していました。父親のことはすぐに忘れてしまいました。でも、
母親にはたびたび遭っていたのです。母親がわずか10マイル先に
住んでいるとは露知らず、ときどき思いをはせたりもしました。
1952ジョンはクォーリーバンク中学に通っていた
●何百人もの新入生を見て、私は思ったのです。この連中とずっと
けんかしていかければならないのか、と。最初にやったけんかでは
負けてしまいました。さんざん痛めつけられて、すっかり肝をぬか
れてしまいました。12歳の頃、自分は天才にまちがいないと
思っていましたが、誰も私に注目はませんでした。
もしこの世に天才というものが存在するのなら、やはり私は天才なのです。
天才というものが存在しないのなら、もうどうだってかまいません。
1955ジョンは母親にバンジョーをならった
●バンジョーは15歳のときにはじめたのです。母がバンジョー
のコードをいくつか教えてくれました。ギターはバンジョーと同じ
頃にはじめました。六番目の弦の使い方もわからないままに。
●1955年6月15日ポールマッカトニー加入、ヴォーカルの
練習にとりかかるとポールは口惜しそうでした。トランペットと
歌を同時にやることはできませんから。それで、彼は大きな決断
を余儀なくされ、私たちにとってラッキーな決断をしたのです。
彼はギターを買いました。左ききのポールはすぐさまギターをさかさまにして弾きはじめまた。
1957美術学校へ入学
1958母親ジュリア、車にはねられて死ぬ
1962ピート・ベスト解雇
1963ビートルマニアの出現
1964最初のアメリカ・ツアー
1966オノ・ヨーコとの出逢い
1970ビートルズ解散の噂が大きく広まる
1972『サムタイム・イン・ニューヨーク・してい』発売
1976ジョンとヨーコからのラヴレター
1980 12月8日、ジョン・レノンはニョーヨークの自宅の外で凶弾に倒れた・・・・・・・
☆☆子供の頃、私は、死をこわがっていたのですが、いまは
死に対する恐怖がどんどん薄れていっていますね。
私たちが人気者だった頃は、本気で命に対する恐怖心をもって
いましたから、4人とも24時間ボディガードをつけていたものです。
4人のなかでいま不安を感じているのはポールだけでしょう。
現役としてなにかとマスコミに騒がれているのは彼ひとりですから。
年を取ってくると、死に対する不安は薄れていくようですよ。
私は2つの人生を生きたのだと思います。
ひとつは、素晴らしい終わり方をしました−−そしていま、ふたつ目がはじまろうとしています。
最初の人生と同じくらい素晴らしい人生になると思います。
自分やヨーコに対して、私は以前にもまして安らぎを覚えます
から。いろんなことを頭の中でえり分けられるようになるまで、
ずいぶん時間がかかりました。しかし、今は新たな−−そして
より大きい−−方向を見つけています。その先にあるのは
大きく、広く、すばらしい世界で、ヨーコと私は死ぬまでその
世界を探究していこうと思っています。
(本文より)
ジョン・レノン語録 シンコー・ミュージック マイルズ編 小林宏明訳
1200円(税別) |
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