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寂聴生きいき帖
祥伝社
瀬戸内寂聴
「今、私は、一分後頓死しても悔いはない。
これこそ無上の幸福である」
切に生きるよろこび
感動するよろこび
感謝するよろこび
死の法則には順序がない。
子供が親より先に死ぬことを逆縁といって、死別の中でも、
残された親は最も辛い。
去年の秋頃から、寂庵へ来られるようになったHさんは、一人娘を亡くされた。
Y子ちやんは26歳になったばかりで、小さい時から可愛らしく、
賢く、Hさん夫妻にとっては文字通り掌中の珠であった。
その町のミスナンバーワンに選ばれて、立派な会社に採用された。
職場でも明るくやさしいY子ちゃんは人気の的で、やがてすてきな男性に
誠実な求婚を受け、婚約した。
Hさん夫妻は、娘の晴れの花嫁姿を楽しみにして、婚礼の支度をしていた。
そんなある朝、いつものように元気よく、
「行ってまいります」
と声をはりあげて出勤したY子ちゃんが20もたたないで、車にはねられ、
遺体となって帰ってきた。
その日以来Hさんはあまりの悲しさに理性を失ってしまった。
Y子ちやんの骨壺を肌身離さず持ち歩いて、
誰の顔も見えず言葉も受けつけず、ただ、ただ、号泣しつづけた。
夫のH氏は、目を離せば首をくくりそうなHさんから目を離せず、
夜もおちおち眠れなくなった。
寂庵に来ても、ただ子供のように泣き叫び、
「Yちゃんは、どこにいるの?どこに行ったの?教えて!」
と叫ぶばかりであった。
私の言葉も開こうとはしなかった。それなのになぜ、寂庵にくるのか。
私は泣き叫ぶHさんの横で方策つきはてて、
ただ一緒に手をとって泣くしかなかった。
自分の無力さをつくづく思い知らされた、私の涙は苦かった。
そういう日が半年つづいていた。私はある日、思い余ってHさんに言った。
「一緒に巡礼に行かない?」
涙にかれた顔をあげてHさんはきょとんとした。
「巡礼って、どこへですか」
「お四国へんろをしてみませんか。私も一日か二日、一緒につきあいますよ」
「えっ先生も行ってくれるんですか?」
Hさんの顔が、はじめて灯がともったようにいくらか明るくなった。
「Yちやんの御冥福を仏さまに祈りながら、四国八十八方寺を廻っている
うちに、仏さまがあなたの心の傷をいくらかでも治して下さるかもしれない。
Yちゃんがきっと、一緒にあなたと歩いてくれますよ」
「Yちゃんも、来てくれるんでしょうか」
Hさんは、はじめて、心の窓が少し開き、そのすき間から、
風が入ったような、少しさっぱりした表情になった。
目次
自分らしさ
捨ててこそ・日々、新しい女になる・私の厄月 その他
日本の恥と危機
少年と老人・聖職者の復活こそ・犯罪被害者の会を支援する その他
日々の感動
小学生に感動・毛皮のマリー・20代に若返ったベルばら女帝 その他
老いもたのし
老いの恥らい・老いの戒め・上手な老い方 その他
死ぬしあわせ
死を思い描く時・命の重さ・愛妻への殉死 その他
1300円(税別) |